2020年/2025年
愛知県 ⇒ 呉市安浦町 ⇒島根県 ⇒呉市安浦町
Uターン
家族4人(子ども2人)
雄大な野呂山のふもと、豊かな清流のそばで明治20年から酒蔵を営む盛川酒造。長男として生まれた盛川馨さんは、建築材メーカーに勤めた後、2018年の西日本豪雨をきっかけに呉市安浦町へUターンしました。現在は8代目を継ぐ立場として酒造りや経営を学び、営業活動にも力を入れています。
「お祭り男になりたい」と話す盛川さん。その言葉の背景には、子どもの頃に地域のお祭りで感じた温かな交流や、故郷に戻って実感した人口減少への寂しさがありました。家業を守りながら、酒や音楽を通じて、地域のつながりを広げていきたいと語ります。
酒蔵の家に生まれ、どのような環境で育ったのですか?
うちは家族経営の小さな蔵元で、酒蔵は幼い頃から「家の一部」という感覚でした。タンクの周りでかくれんぼをしたり、悪さをしたら麹室に閉じ込められたり…(笑)。いつも蔵が身近にありました。
高校卒業後は、広島県内の大学へ進学しました。すぐにではないにしても、いずれ長男の自分が家業を継ぐのだろうと考えていたため、大学では酒造りに欠かせない「水」について学びたいと思っていました。呉市は軟水醸造(軟水を使った酒造り)の発祥地でもありますから。
けれど希望していたゼミに入れず、木材の有効活用を研究するゼミに進むことになったんです。そこで出会った先生は、仕事や学びに向き合う姿勢を教えてくださった、人生でいちばんの恩師です。このゼミで学んだことをきっかけに、新卒で県内の構造建築材のメーカーに就職しました。
就職後はどこで、どんな仕事をしていましたか?
就職後は、愛知県豊橋市にある無垢材の工場へ自ら希望して配属してもらいました。ものづくりの現場で泥臭く、情熱を持って働く職人さんたちと一緒に働けたことは、つくり手の気持ちを理解するための貴重な時間となりました。
配属は品質管理部でした。建築材と日本酒では分野は違いますが、メーカーとして「高品質なものを安定してつくっていく」という点は共通しています。今振り返ると、いつか自分が酒造りをする上で必要なことを、導かれるように学んでいたのかもしれません。
安浦町へ戻ることを決めたきっかけは何でしたか?
前職では月に一度、広島県への出張があったんです。しかし、2018年に西日本豪雨が発生すると、JRが止まるなどして広島へ戻ることも難しくなりました。
ようやく帰ることができた時には、実家は床下浸水していて、家族と一緒に泥かきをしました。飲食店の知り合いなど多くの方が復旧を手伝ってくださり、本当にありがたかったですね。同時に、明治20年の創業以来この地で酒造りを続けてきた盛川酒造を、地域の皆さんが大切に思ってくださっていることを肌で感じました。
盛川酒造は戦後間もない頃に発生した枕崎台風の大水害で、7棟もの建屋が流されました。今残っている蔵はその災害も、西日本豪雨も乗り越えてきたんです。杜氏である叔父が「残されるべくして残った蔵なんだ」と話していたことが印象に残っています。
もしかしたら僕のエゴなのかもしれませんが、これまでに支えてくださった地域の皆さんに対しても、この酒蔵を残していくことには意味があるのではないかと思うようになりました。酒造りも酒の販売も、地域に貢献できる仕事として続けていきたい。災害をきっかけにその思いが強くなり、2020年にUターンしました。
Uターン後はどのように経験を積んでいきましたか?
うちの看板商品である「白鴻(はくこう)」は、創業当時から料理に寄り添う「食事の名脇役」であることを大切にしてきた酒です。実家に戻る前、自分でも料理とのペアリングを試してみてその美味しさを実感し、「日本酒っていいな」と思うようになりました。
そうして実家でまず1年間、酒造りに携わりました。ですが当時は、酒についての知識はほとんどありませんでした。実はアルコールに弱く、酒蔵の息子でありながら酒があまり飲めないんです(苦笑)。
同時に、自分は実家の酒しか知らないことにも気付きました。そんな折、取引先だった酒販会社「酒商山田」の山田社長から声を掛けていただき、同社で働かせてもらうことになったんです。
店舗での接客や飲食店への営業を通じて、どんな酒が求められているのかを知ることができました。また、酒商山田と盛川酒造による低アルコール日本酒「のろり」の企画・開発にも携わったことで、自分の視野が広がりました。
さらに「酒造りの経験を積みたい」「外の世界を知りたい」という思いが膨らみ、2023年から島根県出雲市の板倉酒造で修業を始めました。
3年間で酒造りのノウハウだけでなく、酒というものは地域の文化や人と人とのつながりを生み出す存在であることも教わりました。ここでの経験を通じて、酒を通じて安浦町にどんな形で関わっていきたいのか、自分なりの方向性も見えてきたんです。
ご家族との暮らしについては、どのように考えていますか?
出雲市の板倉酒造で修業を始めた頃は結婚して、子どもが生まれたばかりのタイミングでした。妻が出雲市出身ということもあり、妻の実家で同居していました。
今度は妻が安浦町に来る番になります。知り合いも少なく、慣れない土地での生活は不安もあると思います。自分も義実家で暮らした経験があるので、その気持ちは少しは分かるつもりです。
酒蔵は夫婦で一緒に働くところも多いですが、僕は妻に家業を手伝ってもらうつもりはありません。妻は資格職なので、好きな仕事を続けながら、妻自身の人間関係やコミュニティを築いていってほしいと思っています。安浦町での暮らしが、妻や2人の子どもたちにとっても無理なく、心地良いものになってほしいです。
Uターン移住して家業を継ぐなかで、感じたことを教えてください。
Uターンの良いところは、高齢になっていく両親や祖母のそばにいてあげられる点です。けれど、家族で同じ仕事をしていると、どうしても感情でぶつかってしまう場面も多くて…。離れていた時の方がかえって気遣いができていたかもしれません。
家族経営だからこその難しさはありますが、盛川酒造が大切にしている「不易流行」、つまり伝統を守りながら時代に合わせて変化する姿勢は、自分もしっかり受け継いでいきたいと思っています。
例えば若い世代をターゲットにした「のろり」は、盛川酒造では初の低アルコール酒でした。それでも杜氏である叔父は、ともに挑戦してくれたんです。そんな叔父と両親から経営や酒造りについて学びながら、盛川酒造をさらに盛り立てていきたいです。
うちは歴史ある蔵元で、でも僕は入社して日が浅いため、「盛川馨」個人としてではなく「盛川酒造さん」としてしか見てもらえないもどかしさを感じる場面も多いです。けれど、自分が営業に行ったことで今までとは違う商談ができて、新規取引や取り扱いの増加につながることもあります。
若い自分だからこそできること、これからもっと経験を積んでいくべきこと。両方に取り組みながら、酒造りでも販売でも、さらに良い仕事ができるようになりたいです。
実際に戻ってきて感じた、安浦町の魅力や変化を教えてください。
生まれ育った故郷は、やっぱり心が落ち着きますよね。盛川酒造がある場所は野呂山のふもとで、すぐそばを清流が流れています。豊かな自然が身近でありながら、新幹線が停まる広島市や東広島市に出やすいのも魅力です。車が運転できれば、日常生活にそこまで不便は感じません。
変化を感じるのは、地域の平均年齢が上がっていること。知っている人が亡くなっていたり、慣れ親しんだお店がなくなっていたり…。同世代もまちを離れている人が多く、移住してから高齢化や人口減少を目の当たりにして、寂しい気持ちになることもあります。
だからこそ、自分が地域にできることを地道にやっていくのが大切なのかなと。例えば、実家の庭の剪定は地元で造園業を営む同級生にお願いしています。少しでも地域の中でお金が回るように貢献できればという気持ちもあります。
今は同世代とのつながりはまだ少ないのですが、同級生たちが新しい出会いを作ってくれています。これからは、同じようにUターンしてきた人たちとも交流できたらうれしいですね。
安浦町で、これから挑戦してみたいことはありますか?
僕は「お祭り男」になりたいんです。
…と言うと単なるお調子者のように思われそうですが、これには幼少期の記憶や、修業先で教わったことが背景にあります。
僕が子どもの頃は、安浦町の商店街でお祭りがありました。規模は大きくないけれど、近所のおじちゃんと話したり、金魚すくいでおまけしてもらったり、田舎ならではの人情を感じられる場でした。今ではそうしたお祭りも少なくなり、我が子には昔ながらの温かな交流をなかなか体験させてあげられないことを寂しく思っています。
板倉酒造で修業していた際、杜氏から「直会(なおらい)」について教えてもらいました。神事で供えた酒をみんなで飲み交わすことで、人の輪が生まれるという話を聞き、酒は単なる嗜好品ではなく、地域や生活の中で人と人をつなぐ大切な役割を担っているのだと気付かされました。
祭りの場には、酒と音楽があります。
どちらも、人が集まり輪ができるという点が共通していますよね。僕はかつて音楽活動をしていたこともあり、今もときどき酒蔵で弾き語りをする動画をSNSに投稿しているんです。毎回緊張しますが(笑)、自分や酒蔵を知ってもらうために勇気を出してアップしています。
今後は「お祭り男」として、酒と音楽を組み合わせたイベントなどを通じて、安浦町を活気づけることができたらと考えています。
盛川さんのお気に入りスポット
【野呂山の展望台】
瀬戸内海ならではの多島美を一望できる場所です。愛知県で見た海とも、島根県で眺めた海とも違う景色。故郷を離れた経験があるからこそ、瀬戸内海にしかない美しさに改めて気付きました。