2019年(麻衣さんは2021年)
東京都 → 広島県呉市蒲刈町
佑さん 東京都出身
麻衣さん 東京都出身
柑橘農家/パン屋『L’S BAKERY』経営
2019年(麻衣さんは2021年)
東京都 → 広島県呉市蒲刈町
佑さん 東京都出身
麻衣さん 東京都出身
柑橘農家/パン屋『L’S BAKERY』経営
子どもの頃は長期休暇のたび、父方の実家がある豊島を訪れていた黒田佑さん。東京の有名ベーカリーで10年間パン職人として働いていましたが、「祖父の柑橘畑を引き継ぎたい」「自分の店を持ちたい」との思いから退職。思い出の地に移住しました。現在は妻の麻衣さんとともに、柑橘農家とパン屋『L’S BAKERY』を兼業。島の農地を守りながら、移住者を増やすことに貢献したいと話します。
佑さん:僕は広島県で生まれてすぐ東京へ引っ越し、そこから30年以上東京で暮らしていました。両親が共働きだったため、中学生までは春・夏・冬休みの半分は父方の祖父母が住んでいた豊島で過ごしていたんです。島では山の中を駆けまわったり、海で泳いだり、祖父の柑橘畑で過ごしたり…。自然豊かな豊島で遊んでいたこと、地元の方々に我が子のように可愛がってもらったことが楽しい思い出として残っていました。
東京ではパン職人として働いていました。ベーカリーに勤めて10年が経ち、ここが人生の転換期だなと。自分の店を持ちたいという気持ちもあったし、いずれは豊島にある祖父の柑橘畑を引き継ぎたいとずっと思っていたんです。ひと足先に父が畑を継ぐために豊島へ移住していて、2馬力ならできることも増えるだろうと思い、ベーカリーを退職しました。他店やホテルからの誘いも断り、2019年に豊島の隣・上蒲刈島へ移住したんです。柑橘栽培は経験がものを言う世界なので、農家に転身するなら早いほうがいいという判断でもありました。
佑さん:僕は不安やギャップは特になかったですね。ただ、当時交際中だった妻に、生活基盤がまったく整っていない状態で「一緒に来てくれ」とは言えなかった。だからまず自分が先に移住して、2年間JAの農業研修を受けました。そして2021年に就農するとともに、島でパン屋を開業できることになったタイミングで妻が合流してくれたんです。
麻衣さん:私は大阪で生まれ、関東とドイツ在住を経て高校時代から東京に住んでいましたが、東京に執着はなかったんです。むしろ、将来的には違う土地で暮らしたいと考えていて。移住前に一度豊島に遊びに行ったとき、自然が好きな自分とフィーリングが合う場所だなと感じましたね。
佑さん:彼女は学生時代から世界中を旅しているし、フットワークが軽くて適応能力が高いんですよ。
麻衣さん:だから上蒲刈島への移住にも抵抗はなかったですね。自分がフリーランスの編集者という、場所を選ばない職業であることも安心材料の一つでした。今も農業とパン屋の傍ら、リモートで編集の仕事を続けています。
夫がすでに地域に馴染んでいたこともあり、私も移住直後から島の皆さんには良くしていただきました。散歩中に島のおじいちゃん、おばあちゃんが気軽に声をかけてくれて、時には食事にも招いてくださって。最初は方言が分からず聞き取れないこともありましたが(笑)、笑顔で受け答えしたり、こちらから積極的に挨拶したりするうちに溶け込んでいくことができました。都会では、道行く他人から話しかけられることなんてないわけで。島での心温まる交流にこみ上げてくるものがあり、なんだか泣けてきちゃうんですよね。
佑さん:自然の美しさにも感動して涙ぐんでいたよね。
麻衣さん:そうだったね。上蒲刈島に越してきて2年経った今も、毎朝カーテンを開けて外の景色を見るたび「なんてきれいなんだろう」って感動しています。
佑さん:移住したその年から、JA広島果実連による新規就農者向けの研修に2年間参加しました。春先の剪定から年明けの収穫まで、1年周期でおこなう柑橘栽培について基礎の基礎から教えてもらえるんです。経営に関する勉強会もありましたよ。JA全農ひろしま(広島市)で開催された経営の研修会で、広島県内の農家さんと繋がることができたのも良かったです。
一方で、パン屋開業は偶然の出会いから話が進みました。農業研修は上蒲刈島にある『恵みの丘蒲刈』という市営施設でおこなわれていたのですが、そこに併設されている工房(厨房設備)を貸していただけることになって。元々その工房を利用されていたJA女性部の方々が「ここでパンを作ったらどうか」と声をかけてくれて、利用の手配までしてくださったんです。2年間研修に通う中で女性部の皆さんとも交流があったので、僕の人となりを見た上でサポートしてくれたのだとしたらありがたいですね。
島でパン屋をやるのは当分先になるだろうと思っていたのですが、地域の方々のおかげで、移住3年目にして就農とほぼ同時にパン屋『L’S BAKERY』も開業することができ、本当に感謝しています。妻からも「あなたが自分の店を持たないなら私は移住しないよ」と言われていたので、想定よりも早く実現できて良かった(笑)。
麻衣さん:言ってましたね(笑)。「たしかな技術を持っているのだから、島で活かさないのはもったいないよ」って。彼が東京で10年かけて磨いてきたパンづくりの経験を地域に還元すれば、きっと面白くなると思っていたんです。
佑さん:今は借りている工房でパンと焼き菓子を製造し、上蒲刈島にある『恵みの丘蒲刈』と『であいの館 蒲刈』で土・日曜と、ときどき祝日も委託販売しています。パン製造を想定した設備ではないため、焼ける商品の種類は限られているんですけど。そんな中でも自家栽培のレモンで作るシトロンクリームを詰め込んだレモンパイや、蒲刈産の藻塩を使ったパンドミなど、地元食材を盛り込んだ「この地域ならでは」のパン作りにこだわっています。商品に使用する新鮮な柑橘類を自家製でまかなえる点も、兼業農家の利点ですね。
佑さん:「お客さんの顔を見ながら販売したい」「ハード系などもっと多くの種類のパンを提供したい」との思いから、自家農園の一角に『L’S BAKERY』の実店舗をオープンすることにしました。畑の一部を更地にして新しい店舗を建てる計画で、開業準備は妻が主導してくれています。
麻衣さん:オープンは2024年12月の予定。農地を宅地に転用する許可が下りるのを待ったり、さまざまな申請が必要だったりと、正直、想定よりも時間がかかっています。けれど、この時間を活かして色んなことを見つめ直しながら、じっくりお店づくりをしていこうとポジティブに捉えていますね。店舗を構えた後も、農作業があるので基本は土日営業にする予定です。
佑さん:人口の少ない島でパン屋を営むことに対して、特に不安はないですね。地域の方々が応援してくださるのも心強いです。商品を買ってくれるだけでなく、「頑張っとる若者がおるけえ取材してあげて」と地元新聞社に電話してくれたことも(笑)。豊島の集落では法事の際、参列者に仕出しとパンを配る風習があるのですが、今年は配布用のあんぱんを当店に発注していただきました。今後もこうした形で地域に貢献していけたらうれしいです。
麻衣さん:今は、「良いもの」をまじめに作っていれば、遠方からもお客様が訪れてくださる時代。「こんなに美味しいパンが島で食べられるの⁉︎」と喜んでもらえるお店にしたいですね。不安よりも楽しみのほうが大きいです。
佑さん:パン屋の新店舗も頑張っていきたいですし、この島の柑橘産業を盛り立てて後世に繋げていきたいですね。子どもの頃と変わらず美しい自然風景が広がる豊島ですが、耕作放棄地は増え続けています。柑橘畑は2~3年放置したら、重機を使って一からやり替えなければいけない。農地を守るために、父と一緒に島内の耕作放棄地を柑橘畑としてよみがえらせています。
島の人たちが大事に培ってきたものを、ないがしろにしたくないんです。そのためには、先を見据えたやり方が必須。循環型農業を目指して除草剤を使わず手間暇かけて草刈りをするほか、働きやすい環境づくりのため、軽トラックごと果樹園に乗り入れて収穫できる農地整備などに取り組んでいます。
麻衣さん:とびしま海道エリアには新規就農した同世代のIターン移住者も多く、年に何度か集まって情報交換しています。皆、基本的には兼業農家ですね。狩猟や養蜂などの副業を持っています。仲間たちといつも話しているのは「継続できる農業を確立させたい」ということ。栽培の仕方はそれぞれ違っても、向いている方向は同じだと感じます。
佑さん: JAには農業をやりたい人からの問い合わせも少なくないそうなんです。でも地元民からすると、見ず知らずの人に農地を貸すことには抵抗がある。移住者からすると、借りやすい農地は栽培が難しい…。どちらの気持ちも分かるからこそ、借りやすい農地を増やすなど、新しい人たちが参入できる環境づくりを皆でやっていこうと話しています。付加価値をつけて販路を開拓することも必要だと感じていますね。
麻衣さん:私たちが移住者の成功例になることで、その姿を見た人たちが移住しやすくなるんじゃないかなと思っていて。新しくオープンする店舗も、地域の起爆剤にしたいですね。『L’S BAKERY』をきっかけに島を訪れる人や素敵なお店が増え、ひいては島に住んでくれる人が増えたら良いですよね。
佑さん:何もしないでいると、衰退していくのは目に見えています。これまでたくさんの方々にお世話になったご恩を、地域や社会に還元していきたいんです。そして、とびしま海道沿いの島々を盛り上げている人たちが一つになれたら、もっと地域の力を底上げできるんじゃないかな。『L’S BAKERY』の実店舗が、とびしまエリアを元気にしたい人々の拠点となり、皆でリアリティのある取り組みができればと考えています。
【豊島にある十文字山展望台】
360度のパノラマが広がるドーム状の展望台で、晴れた日には遠く四国の山々まで見えます。夫婦2人で軽トラに乗って遊びに行ったり、東京から友達が来る際には必ず連れて行く場所。ここから見渡す景色が好きです!