はじめまして。【呉を飛び回る心と体の健康係】藪木三恵です。
広島市で生まれ育ち、結婚を機に呉市民になりました。専業主婦歴15年を経て運動指導の世界へ入り、今では呉の北から南まで飛び回りながら活動しています。
このたび市民ライターとして、私だからこそ見える呉の魅力や人の温かさをお伝えしていきたいと思います。
はじめまして。【呉を飛び回る心と体の健康係】藪木三恵です。
広島市で生まれ育ち、結婚を機に呉市民になりました。専業主婦歴15年を経て運動指導の世界へ入り、今では呉の北から南まで飛び回りながら活動しています。
このたび市民ライターとして、私だからこそ見える呉の魅力や人の温かさをお伝えしていきたいと思います。
広島市で生まれ育った私にとって、呉は「広島のすぐ隣のまち」でした。
けれど実際に暮らしてみると、そこには独自の文化や風土、人との濃いつながりがありました。
気がつけば私もすっかり呉人。
今回は、そんな私と呉とのご縁、そして今感じている呉の魅力についてお話しします。
広島市で生まれ育った私が、結婚を機に呉市民になってから二十数年になります。
生まれも育ちも学校も就職先も広島市内。だから結婚前の私にとって呉は「広島の隣のまち」という認識でした。
実は父方の祖母の実家が倉橋の鹿島にあり、子どもの頃は夏休みになると親戚の家へ遊びに行っていました。
私の呉の思い出といえば、とにかく渋滞です。
31号線を走り、まずは狩留賀海水浴場周辺の大渋滞。そこからさらに倉橋方面へ向かう道も長く、子どもだった私にはまるで小旅行のようでした。
父から聞く呉の話も印象的でした。
ー昔は音戸大橋がなく、鍋桟橋まで行って船に乗っていたこと。
ー伯母が畑地区に住んでいて、呉越を電車が走っていたこと。
ーそして何より、呉の話をする時の父がとても楽しそうだったこと。
振り返れば、私は子どもの頃から少なからず呉とのご縁があったのだと思います。
そんな私が結婚後、呉に住むことになりました。
ある日、まだ結婚前だった夫との会話で、話題に出た人物について私はこう聞きました。
「その人は広島の人?」
すると夫は、
「いや、呉の人」
と答えたのです。
その時の私は思いました。
「え?呉も広島じゃん」
広島県の中なのだから同じだと思っていたのです。
ところが呉で暮らし始めると、その意味が少しずつ分かるようになりました。
呉には呉ならではの文化があり、人とのつながりがあり、独特の空気があります。
今では逆に、広島市内に住む父や姉、友人と話している時に、
「それは広島の話よね」
「いいや、呉」
と自分が答えていることがあります。
その瞬間、
「ああ、私も呉人になったんだな」
と思わず笑ってしまいます。
県外の知り合いへのお土産も変わりました。
以前なら迷わずもみじ饅頭でしたが、
今では呉氏クッキーや鳳梨萬頭、鳥皮みそ煮など、
呉に特化したものをあえて選んでいる自分がいます。
それくらい私から自然と「呉」が出てくるようになりました。
私が感じる呉の魅力は、一言でいうと「ぎゅっと詰まっていること」です。
駅、市役所、銀行、商店街、学校。
生活に必要なものがコンパクトに集まっています。
我が家からなら頑張れば徒歩で回れる範囲です。
広島市で育った私には、これはなかなか衝撃でした。
そして何より、人との距離が近い。
近所付き合いも、人と人とのつながりも濃くて深い。
子育て中は地域の方々や同世代の仲間に本当に助けられました。
もし広島市に住み続けていたら、私は孤立していたかもしれません。
また、3人の子どもたちの幼稚園から高校までが比較的近い範囲にあり、安心して子育てできたこともありがたいことでした。
呉でよかった、呉だからよかった!
そんな呉のまちへ帰る時、私はいつもほっとします。
旅行や仕事で出かけた帰り道。
ー広島呉道路なら最後のトンネルを抜けて市街地が見えた時。
ー31号線なら狩留賀や吉浦を過ぎ、魚見山トンネルを抜けて、だんだん呉の景色が近づいてきた時。
胸の奥に安心感が広がります。
「帰ってきたな」
そう感じるのです。
広島生まれ広島育ちの私ですが、今では呉にいることが誇りです。
これから市民ライターとして、そんな呉の魅力を、外から来た私だからこそ気づけた視点も交えながらお伝えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。